停電・断水

今日の計画停電は2回予定されているのだろうか。昨日の村役場の無線放送では、朝6時40分からということだった。昨日から真冬並みの寒さ、最低気温はマイナス13度の予報が出ていた。朝の6時40分では、まだマイナス気温である。水道管に通電しているが、停電になると、たちまち凍ってしまう。

解除になるまで朝寝しようと思っていたが、とんでもない。それまでに部屋を暖め、水道を使っていかないと、凍って、破裂するかもしれない。怠け者ではいけないのだ。
と、緊張して早起きをしたが、幸い、停電はなく、平穏な朝であった。気温は日中もまだマイナスだ。

2時10分から5時10分まで計画停電が行われると、今、村役場の放送があった。2回も予定されているとはしらなかった。

こうして停電がおきると、10年以上前、アフリカにいたときのことを思い出す。停電・断水は日常茶飯事だった。そして計画停電などではなく、無計画、無予告、無期限の停電と断水だった。

「水と安全はただ」と思うような日本から、内戦・経済危機・食糧不足・貧困・疾病など、ありとあらゆる不安材料を持っている国への赴任、心細くて仕方ない。そしてそこに停電と断水の不安も加わった。
当初、発電機もないので、もろに影響をうけた。停電は日中のこともあり、夜中のこともあり、時を選ばなかった。

どのように克服していったのか、もう忘れてしまった。時間も長く、時には10時間を超えることもあった。何を食べたのか。飲料水はボトルの水があったので、それを飲んでいたのだろう。食糧については、きっと非常食を食べたのだろうが、今になっては定かな記憶がない。

断水の準備としては、3つもある浴室のバスタブをすべて満水にして備えていた。ところが、水道水は茶色で、長くためおくと、ぬるぬるしてきたりで、気持ちが悪くなる。そのうち、1つだけにするとか、だんだんに準備がゆるくなっていった。空になったボトルに水をため、大量に準備するのは役に立った。トイレのタンクにいれるにせよ、ボトルからのほうが、効率がよかったからだ。

いつ終わるかわからない停電、赤道直下の暑い気候のなかで、冷房はとまり、虫や蚊をおそれて窓は開けられず、汗だくになっていたことは覚えている。

冷凍庫は開けなければ数日は大丈夫ですよ、といわれても、中の食べ物を出さなければ、食べるものはない。いづれにせよ、半分解けてしまったような食品はすぐに食べなければ、と長い停電のあとには、御馳走を作ったものだった。

今のような予告のある停電、予告が直前であろうと、これくらいの不便さはしのいでいかなければ。被災者の方たちの状態をみると、またアフリカでの経験を思うと、たいしたことではない。

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