原発を東京に

原子力発電所(原発)を東京に、というのが、原子力発電に反対していた時のスローガンだった。地産地消が流行の今、エネルギーも東京で必要な量を、東京で発電すれば、問題がなくなるのでは?というのが論拠であった。
当時、原発は安全で、かつ発電時にCO2を発生しない、エコな発電所であるという、電力会社側の説明だったから、そんなに安全なら、東京でも作ればいいと言っていたのだ。原発には冷却水が必要で、海岸か河川のそばが立地条件になる。東京には多摩川、荒川があり、東京湾があるではないか、と言っていたのだ。

そんなことを言えなくなってしまった。この福島原発の事故は、現在では第一発電所一号基の半径20km以内の住民が避難を指示された。

もしこれが東京だったらどうなるか。避難すべき人口数は現在の比ではないだろう。避難した人々を収容する場所があるのか、パニックは生じないだろうか、といろいろ考える。

東電や政府関係者は事故を正直に評価しているのだろうか。過小評価していないのだろうか。

30年くらい前、フランス電力公社(EDF)の年次報告書を翻訳したことがある。そのとき、accidentとincidentという言葉があった。accidentは事故、それではincidentは辞書でみると「偶発事、困った出来事、(重大な結果を招きかねない)偶発事件、トラブル}などとなっている。accident以前の困ったこと、すなわち、不都合とか不具合ということだ。

今朝の新聞をみると、原発事故の評価尺度というのがあって、レベル1からレベル7に分かれ、レベル3までが異常な事象、それ以上が事故となっている。異常な事象がincidentに相当するわけだ。程度の問題ではない。事故となれば報告の義務がでるが、異常な事象程度であれば、報告しなくていいとか、なにかあるらしい。それで、事故ではなく異常な事象に組み入れるというケースがあるとか、ないとか。そんな記憶を引き出すような関係者の説明だ。

フランスでは原子力発電が、全発電量の80%ほどを占める。国民にも受け入れられている。だから日本でも、となったとき、日本では地震が多いから、と反対派は危惧していた。万全の予防措置をとる、相当の大地震でも大丈夫だ、と説得された。

しかし、常に想定外の事故は起きる。それが人的なものであれ、自然災害によるものであれ、事故は起きる。
人間の想定なんて、限界があるのだ。

はたして政府の説明を信じていいのか。ある筋から得た情報では、ある大使館は、在留の人々に対し、どうしても日本に残っている必要がないのなら、早期に日本から出国するように、とメールを送ったそうである。

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