代理出産について再び

今朝の朝日新聞にインドでの代理出産について、大きな記事がでていた。そういえば、以前にインドで代理出産により誕生した赤ちゃんが、日本に帰れないという事件があった。

それは2008年の8月だった。早いものでもう2年以上たっている。女児だったというが、もう歩きもし、かわいいさかりになっていることだろう。この代理出産を依頼した父親が、離婚したがゆえに、この女児が母親不在となり、インドからの出国を認められなかったのだが、誰が子の子の面倒をみているのだろうか。

出国を結局は認められたが、そのとき、男性の母親が付き添った。今も祖母にあたるその女性が面倒をみているのだろうか。当時の新聞記事によると、出生当初は敗血症の症状があったが、その後回復したという。丈夫に育っているのだろうか。

そして今年の初め、野田聖子議員の出産があった。彼女とその子はどうなっているのだろうか。野田議員のブログをみてみた。子供はまだNICUにはいったままのようだ。そして知らない事実が書いてあった。
1月18日に出生届を出したものの、母親(野田聖子議員)の年齢が50歳ということで、即日受理されなかったというのだ。受理には法務局の許可が必要とか。結局は2月1日に許可がおり、受理されているのだが。

どういう法的な縛りなのか、それについては書いていないが、50歳では自然的な妊娠・出産はあり得ないと法律は判断しているのだろう。
これからは、60歳代の母親が、娘の代わりに出産するといったケースがあることを考えると、法的整備はそんなところにも配慮しなければならない。

今日の記事は、インドやタイで、代理出産がビジネスとして急増しているという内容だが、出産という神聖であるべきことが、ビジネスとして、また貧困を利用した形で行われることに、矛盾を感じる。

インドで生まれた子、そして野田議員の子が無事に成長していきますように。

母の嘆き(小林多喜二の母)

チュニジアに始まった革命の炎は、エジプトで燃え上がり、またイエーメン、ヨルダン、リビアなどへと飛び火している。

これらの国々は、強権政治あるいは独裁政治で知られている。独裁政治を維持するには、秘密警察が必要だ。

日本では今や秘密警察は存在しないと思うが、戦前には、特高と呼ばれる秘密警察が存在した。思想犯や治安維持法に反すると思われる人々が、逮捕監禁され、拷問も行われた。

2月になると、悲しい詩を思い出す。それはプロレタリア作家として「蟹工船」でも知られる小林多喜二の母親の詩だ。

あーまたこの2月の月かきた(あーまたこの2月の月がきた)
ほんとうにこの2月とゆ月か(本当にこの2月という月が)
いやな月 こいをいパいに(いやな月 声をいっぱいに)
なきたい どこいいてもなかれない(なきたい どこにいても泣かれない)
あーてもラチオてしこすたすかる(あー でもラジオですこし助かる)
あーなみたかてる(あー涙が出る)
めかねかくもる(メガネが曇る)
(新潮社日本文学アルバム「小林多喜二」)

なぜ2月がこんなにつらいのか、それは拷問の挙句、ぼろぼろに傷ついた多喜二の遺体が、母セキのもとにかえされたからだ。

今、革命進行中の国々は、秘密警察が強力な権力をもっていることでも知られている。どんなに多くの人々が、とらわれ、拷問を受けていることか。

この2月に多くのセキが涙を流していることだろう。

韓流小説

韓流ドラマは毎日、どのテレビ局でも(BSを含む)1日中放送されている。現代ドラマ、時代もの、どれもがなにか同じように見えてならない。

友人の多くが韓流ドラマにはまったという。私も「冬のソナタ」は見たし、「チャングム」にいたっては、NHK,NHK BS,再放送、などすべてをみた。はまった口かもしれない。

今日、孔枝泳(コン ジヨン)著、蓮池薫訳の「楽しい私の家」を読んだ。韓国の小説を読むのは初めてだ。面白かった。この作家の特徴なのか、訳の特徴なのか、文章自体はちょっとくどい。

しかし、なんとなく韓国の社会がみえるような気がした。テレビのニュースやドラマでははっきりつかめないものが、文字を通してみると、想像できる部分がある。これが活字のいいところだ。

家族の関係も、日本と随分異なるようだ。この物語の主人公は高校生の女の子だが、その母親は3回離婚していて、その3回の離婚でそれぞれ子供をもうけている。韓国では夫婦が別姓だけれども、子供は父親の姓を名乗るから、3人の子供がそれぞれ別の姓というわけだ。

離婚は恥である、というのは、日本でも昔はそうだった。でもこのごろではあまり恥とは感じないようだ。でもこの本では、韓国ではまだまだ避けるべきことのようだ。

大学受験の大変さは、テレビでもシーズンになると報道されるが、この本のなかでも触れている。受験の日の朝は、アワビ粥を食べているが、初耳だ。そして志望校の門や塀に、飴をくっつける習慣もあるとか。

これから少し韓国の本をよんでみようと思っている。この本は訳者の蓮池さんへの関心で読んだのだが、韓国の小説にはまるか、はまらないか、お試し期間を設定してみよう。

石橋正二郎氏の血

鳩山由紀夫、鳩山邦夫兄弟にはほとほと愛想がついた。それは今回の鳩山前首相の沖縄に関する発言があったから、こんなことを書いているのだが、「方便」発言、あまりにも軽すぎる。

「発言の趣旨をあやまってとられている」というのは、醜い言い逃れである。「方便」という言葉を記者が使ったとすれば、その使い方を問題にして、自分の真意を誤解のないように発言するのが、少なくとも首相まで経験した政治家ではないだろうか。

「方便」という言葉は、あまり学がなくても「嘘も方便」という形で使われることを知っている。前首相の辞書は、我々の市販の辞書とは違うのかもしれない。オバマ大統領に言った"Trust me"も彼の解釈は違うようだった。

民主党が政権をとった時、「沖縄の基地は、国外に。最悪でも県外に」という発言は、すごいと思った。これまでも沖縄に基地が集中しているのはだれもが異常と承知している。でも自民党政権下では、沖縄に犠牲を強いた形でしか、日米安保は成立しないと思っていた。

政権交代が行われれば、沖縄から基地が少なくなるかもしれない、と期待させる発言だった。でもやはり安全保障の縛りはきつかった。

今回の鳩山発言、あの世の祖父たちはどう聞いただろうか。祖父とは、鳩山一郎、母方の石橋正二郎である。石橋正二郎は、私の故郷久留米出身である。ブリジストンタイヤの創始者で、久留米ではきわめて尊敬される存在だ。去年か一昨年だったか、生誕120年とやらで、なにかと行事があったように思う。

地下足袋製造から世界的企業に成長させた石橋正二郎、いつまでも久留米の方言やアクセントが抜けなかったと聞いている。
人材育成にも心を砕いたというが、孫がこんなにひどい存在になるとは、思いもよらないことだろう。
きっと鳩山一郎も同感だと思うが、3代目まで跡目を継がせるとこんなことになる。

吾妻渓谷雪景色

昨夜の大雪、我が家で30センチ弱の積雪だった。前橋に出かける用事があるので、玄関から車まで、ガレージから家の前の道路まで、バックで車を出せるだけの面積、とこれだけの積雪があると大変な仕事になる。

このごろ、長野原あたりから、八ツ場ダムのための新道路を使っていたが、今日は吾妻渓谷の雪景色をみようと、旧国道145号線(まだ正式に旧道になったわけではないが)を通ることにした。一度、雪のあとに通って、その美しさに感動したことがあるのだ。まるで墨絵のような白黒の世界だった。

今日は時間が遅かった(10時半)せいか、以前の感動は再現できなかったが、十分美しい景色だった。八ツ場ダムの件はどうなったのだろう。今朝の朝日新聞によると、13日(日曜日)に新しい大畠国交相が初視察をしたという。

そして馬淵前大臣の方針「中止の方向性に言及せず、一切の予断をもたずに検証を進める」を堅持するのだそうだ。検証は今年の秋までに結果を出すことにするという。

検証の結果を出す期限が示されたことは、一つの進歩であるが、なんとあいまいな言い方なのだろう。

民主党が政権をとった時、ダム工事の見直しは公約だったはずなのに、なんといい加減なことだろう。

1982年、フランスで社会党出身のミッテラン氏が大統領に選ばれ、国民議会も多数をしめたとき、とてもドラスティックな政策が実行された。「100の施策」という公約リストが出されていたが、その中でも覚えているのは、死刑の廃止、地方分権、大企業の国有化、などがあったが、どれも賛否が拮抗するなか、実行していった。国有化はのちに共存政権になったとき、民営化ということになったが。富裕税なども社会党政権が始めたが、いまも残っている。

八ツ場ダムははたしてどうなるのか、必要なのかどうか、はやくはっきりしてほしい。

余人をもって代え難し

エジプトの政変は、ムバラク大統領が首都カイロから去ることによって、一端終結した。ムバラク前大統領は30年にわたって、その地位にあったという。

独裁政治の国は多い。独裁者は身勝手な論理をふりかざす。自分がいなければ、国は混乱し、経済は破綻し、外国からの干渉を招く。
自分がその原因になっているとは思わないらしい。

アラブの国は、チュニジアが変わり、今回のエジプトで2国がその元首を変えた。ニュースでみると、イエーメン、サウジアラビア、ヨルダン、アルジェリア、モロッコ、リビア、シリアと政変に結びつきそうな国は多い。

これがアフリカになると、もっともっとでてくる。たとえ就任期間がまだ数年であっても、その地位が親からの継承である場合がほとんどだ。

「余人をもって代え難し」とよく言うが、余人にしたほうが、よほどうまくいくことが多いことに本人や取り巻きは気付かない。
「余人をもって代え難し」というのは、収賄や縁故を利用してのビジネスのためには言えるかもしれない。

各国はその国の病弊をもっている。以前、「フランス病」という言葉をアラン・ペイルフィットは使ったが、日本には「日本病」があり、きっと中国も「中国病」があるだろう。その病気の治療法は、思い切って指導者を変えてみることにありそうだ。


「余人をもって代え難し」は家族といった小さな組織でしかあり得ないことばだと思う。もしかしたら、夫や妻も内心では「変えうる」と思っているのかも。

Saint Valentin(ヴァレンタイン・デー)

明日、2月14日はヴァレンタイン・デーである。月曜日だから、義理チョコなるものがたくさん贈られることだろう。

なぜ、2月14日がヴァレンタイン・デーと呼ばれるのか、それは2月14日が聖ヴァランタンの祝日であるからだ。カトリックは聖人に叙した人を、1年の日々に振り分けている。聖ヴァランタンは2月14日、私の洗礼名にいただいているマリー・マドレーヌ(マグダラのマリア)は7月22日だ。

それでは聖ヴァランタンと言う人はどういう人かといえば、諸説あるらしいが、3世紀のイタリア、テルニの僧で、ディオクレティアヌス皇帝の治世下、殉教したのだが、愛と情熱の伝道者として知られていたらしい。聖列化され「愛の守護者」と扱われるようになったとか。

時は2月、ちょうどこのころから、鳥たちがつがい始める。ほんとうに餌台に集まる野鳥のさえずりのトーンが高くなっている。「愛の季節」のはじまりなのだ。

ヴァレンタインカードのやりとりはアメリカでさかんになったらしい。旧大陸から新大陸へと移住した男性たちが、旧大陸に残った妻や恋人への手紙をしきりと送っているが、その習慣がヴァレンタインカードとして残ったわけだ。

カードだけではなく、チョコレートを女性から男性へというのは日本で始まったのではないだろうか。パリの知人A氏にヴァレンタイン・デーだからと、チョコレートを贈ったことがある(友情のあかしとして)。怪訝な顔をされた。そこで、日本でのこの習慣を説明すると、軽蔑したように言われた。「愛の告白は、フランスでは男性からするもので、女性はそう仕向けることは可能だが、自分から言うのははしたない」(ちなみに年配の男性だから、古い感覚)。
また贈り物も、常に男性がするものなのだそうだ。

そのお返しのホワイトデーについては、もうあまりに商業目的でできたものなので、話題にすることもできなくなった。

そうは言いながら、フランスでも商業化は進んでいて、2月になると、やたらショーウインドウや雑誌などに、ハートマークが目につくようになる。男性から女性へ、女性から男性へ、クリスマスに続くギフトの季節ともなっている。

フランスにサン・ヴァランタンという小さな村がある。ここには2月14日に、恋人や婚約者たちが集まってくるとか。ここの村長さんが1月に日本にきて、どこかのチョコレートメーカーの宣伝に参加していたようだ。

我が家の男性は、チョコレートよりあんこが好きだから、ほしがらないのでプレゼントはなしだ。

ハンドクリーム

冬になると必需品になるハンドクリーム、これに凝っている。お取り寄せなんてものではなく、わざわざ工場まで買いに行くのだ。それが遠い。フランスも南仏、サロン・ド・プロヴァンスという小さな町にある。

交通の便もないため、レンタカーをしていくか、友人の車で連れて行ってもらう。オーガニック製品で、オレンジの香りをつけたオリーヴ油のものである。50mlで10ユーロ(1130円くらい)なので、馬鹿高いとも言えないが、交通費と時間を考えると、値段はつけられない。毎年1回、友人の分も含めて、買い物旅行をする。

年齢のせいか、寒冷地に住んでいるせいか(水がとても冷たい)、手が荒れる。つれあいも同様だ。このハンドクリームを使うようにすすめると、「そんな高いハンドクリームはもったいなくて使えない」と、ワセリンなど薬局で買ってきたものをすりこんでいる。

パリでいつも寄宿している知人宅の夫人に一つ差し上げたことがある。私より20歳以上年上だから、肌荒れの悩みももっと深いだろうと思ってだ。ところが、あまりありがたがらない。
肌荒れしないのだ。まず水仕事がない。お手伝いさんがくることもあるが、料理をするときも水を使ってということがあまりない。お洗濯、洗濯機にかけるだけである。食器を洗うのは、食器洗い機、掃除に水は使わない。

彼女はあまりお風呂にもはいらないし、日々の洗顔、歯磨きあたりに水を使うのだろうか。そのくらいなら、ハンドクリームなど必要としないのかもしれない。
洗顔に水を使うのかもはっきりとは知らない。一度、日本からお茶を使った石鹸をお土産にしたことがあるが、洗顔にも使えるとてもやさしい石鹸だ、と説明したら、反応がいまいちだった。石鹸洗顔ではなく、クレンジング洗顔なのかもしれない、と思ったことがある。

このハンドクリームのほかには、シアバターのはいった製品が本当にしっとりとする。化粧品にはあまりこだわらないのに、とおかしくなるが、1日のうちに10回以上はすりこむものだから、お気に入りの品があるだけで、とても幸せを感じている。

東京と地方の温度差

2か月ぶりに東京へ行ってきました。お天気が悪くなるという予報だったので、都会へ行く服装というより、しっかり寒さ対策を優先させた服装で行きました。

今回の東京はとても寒くて、寒冷地より寒いねとつれあいと言いあっていましたが、地下鉄や建物の中にはいると、もう蒸し暑くなってきます。寒さに慣れたので、どうもこういう暑さが苦手なのです。

天気予報で、東京にも雪が降る、としきりに警告しています。積雪量はといえば5センチとか。都会では5センチの積雪が交通事故の原因になったりする境界なのだそうです。
3時すぎに宿泊先を出ました。目白通りを通って関越にのるまで、地面がだんだん白く変わっていきます。朝は雪が降っていても、地面に落ちる前にとけていったのに、やっぱり気温が下がっているのだと実感です。

村に帰りついて、道路にはそんなに雪がありません。こっちは降り始めが遅いという予報だったから、まだそんなに積っていないね、とつれあいはほっと安心したようすです。
ところが、ところがです。それは何度も除雪したあとだったからのようでした。道路から我が家の敷地にはいると、タイヤがきしんでいます。

ドアをあけて、足をおろすと、ぶすっと沈みます。吹きだまりになっているのか、30センチ近くありそうでした。ガレージから玄関までの階段も雪で埋まっています。

5センチの積雪で大事件になる都会、日本海側の豪雪ほどではないけれど、5センチならなんでもない地域、これが一つの例ですが、景気や賃金、いろんな面での温度差を感じました。

優雅な休暇

この2、3日、フランスの閣僚の優雅な招待休暇が問題になっている。まず、ミシェル・アリオ=マリー(MAM)外務大臣、ついでフィヨン首相だ。MAMはチュニジアで、フィヨン首相はエジプトで年末の休暇をすごしている。

いづれも1月、チュニジアは大統領が逃亡、そしてエジプトはまだ騒動がおさまっていない問題の国だ。駐チュニジア仏大使は、この政変をきちんと把握していなかったとして、更迭されている。そのボスの外務大臣が、チュニジア政府の招待で休暇をすごしていたこと、これは問題ではないのか。

またフィヨン首相は、家族ぐるみで、年末をエジプトのアプシンベルで過ごしたのだそうだ。アスワンまではフランス政府の閣僚用専用機で、そのあとはエジプト政府(つまりムバラク大統領)の丸抱えだったらしい。

サルコジ大統領は、閣僚に対し、「休暇はなるべくフランス国内ですごすように、もし外国政府の招待があるときは、大統領府に申請し、大統領府の外交担当が審査して、許可をだす」という。

そのサルコジ大統領も、まだカルラ夫人と結婚する前、エジプト公式訪問のあと、カルラ・ブルーニ嬢と私的な休暇と称し、エジプトに滞在したが、それもムバラクの招待だという。

そのほか、大統領に選出されてすぐ、マルタ島へ豪華クルージングをしたのは、フランス実業家のヨットであったし、アメリカで夏の休暇をすごしたときも、フランス系かアメリカの実業家の別荘であったとか。

エジプトでいえば、私がアスワンへつれあいと旅行したとき、ミッテラン元大統領が滞在していた。前後してフランスへ帰国されたのだが、ダニエル夫人とではなく、愛人とその間の子と一緒だったという。

フィヨン首相は、エジプト政府から以前から招待されており、それを受けただけだとか、先輩首相、大統領たちも同じことをしてきたと、弁解しているようだ。

日本の閣僚たちの貧しい夏休み、たとえば、菅首相の昨年の夏休みは、たしか軽井沢のプリンスホテルのコテージで数日すごしただけだったと思う。
それだけでも、フランスよりましと言っていいのだろうか。

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