たゆまぬ努力

今年のうれしいニュースの中に、ノーベル賞受賞がある。北海道大学の鈴木教授とパデュー大学の根岸教授だ。

お二人の受章インタビューを聞いていて、それぞれ、成果をあげたひとの実が感じられた。とくに、根岸教授のことばのなかで、「たゆまぬ努力」をしなければならないというのが印象に残った。

それも「たゆまぬ努力」が必要だということを、実感していたからだろう。人生もう折り返し点をすぎてしまうと、人生で何が必要で、自分には何ができるか、といったことがみえてくる。

できる人に嫉妬し、自分には運がないからだ、コネがないからだ、と犠牲者みたいなことで甘やかしたこともある。

とんでもない、実力がない、努力をしていない、ことに尽きる。友人をみていると、できる人は努力もしている。
たとえば、年若の友人は、大学で薬学部を卒業し、大学院もいったのだが、なぜか薬剤師の資格をもっていなかった。それが制度が変わるというので、薬剤師の資格をとると決め、毎朝4時に起きて、6時まで勉強の時間にあてていた。子供のお弁当作りもあるので、6時までしか時間が使えないのだ。

朝が弱い私は、4時おきを毎日続けるのはできない。そんなにして勉強しなければならないのなら、資格をとることをあきらめる。

ピアノやヴァイオリンなどの楽器、スポーツ、語学、なんでも努力が必要なのだ。このごろの風潮は、ちょっとやって結果がでなければ、自分にあわないとか、すぐにあきらめる傾向がある。子供がいやがると、それを強制するのはよくないとか、自発的にやることに意義があるという。
人生経験のない子供には、まだ判断能力がないというのに。

ノーベル賞受賞者の言葉は、説得力があった。

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