クリスマスプレゼント

23日(天皇誕生日)、銀座三越へ行きました。改装して初めてです。人の多いこと、そして各売り場では、女性が品定めしている間、男性はベンチに腰掛けて、じっと待っています。品選びが決まると、お支払いをして、それがプレゼントになるのでしょう。

「プレゼントのないクリスマスなんて」と「若草物語」でも4姉妹がプレゼントに期待をかけています。私が幼かった時、サンタ役をしてくれるのは、独身の叔母でした。この叔母は、結核を患ったことがあり、おそらくもう結婚はしないだろうと思っていたのでしょう。身を飾ることもなく、地味に働いていました。そして年末になると、たくさんの甥姪にプレゼントを配っていたのです。

我が家にもクリスマスのころに現れました。家族が多く、食べることで精いっぱいだったため、クリスマスプレゼントなど、考えられませんでした。そこに叔母が小さなものでも、兄弟の一人ひとりにもってきてくれたのです。

手袋だったり、鉛筆をひと箱だったり、今としてはたいしたことのない金額だったでしょうが、当時はうれしい贈り物でした。鉛筆など、1本単位で買うのに、12本も自分の好きに使っていいなんて、それから、何かを書くという作業の楽しかったこと!!!

プレゼントのないクリスマスが耐えられない、その解決策は、クリスマスパーティにプレゼント交換という遊びをいれることでした。1000円とか2000円を最低金額にして、気のきいた品を持参して、全員で交換するのです。

集まったプレゼントには、番号ならぬ「白、発、中」など、マージャン牌の名称をつけ、その牌を「赤鼻のトナカイ」を歌いながらまわしました。

それぞれにゲットしたプレゼントを披露しあうのも楽しかったです。これで誰からかはわからないにせよ、確かにプレゼントを得ることができました。
(数年前からこの習慣はなくなりました)

先日の某新聞に載った投書に、クリスマスを祝えない人に思いを寄せるべきだという意見がありました。

ここであまのじゃくの言い分です。クリスマスを祝う必要があるのでしょうか。アラブでも祝う現在、全世界でクリスマスは祝われていますが、これはマスコミ、キリスト教、商業主義の成果であって、祝わないというのもあり、と思ったりです。

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