もったいない、みっともない、なさけない

先日、友人が”もったいない”は世界的に有名になったけど、”みっともない”のほうが使いでがあるのでは?と言っていた。

それに私は情けないを加えたい。今の世の中、武士は食わねど高楊枝、といった気概をもつ人はいないように見える。フランスの友人はnoblesse oblige(貴人の義務)あるいはamour gratuit(無償の愛)を口にする。

日本では損得づくで、なにもかもが動いているようだ。収益性や効率、こういった言葉でははかれない静かな、100年単位で考えるべきこともあるだろうに、即時の効果がなければ、無用と断じられてしまう。

そんな考えを是としてしまう忙しい世の中。また安ければいい、とか、ただのものに群がるといった、行動が多すぎはしないだろうか。

昔は立ち食いは無作法だった。アメリカで育った友人が、コーラの缶を手に現れ、飲みながら歩くのに、ショックを受けた。これがアメリカ的自由なのだ、と、すぐにまねした。
でも、今では落ち着かない。飲み食いはきちんと座って、場所柄を考えて、と思う。なんだ、昔、祖母にきびしく言われていた通りだ。

政治家の言葉の軽さ、首相を辞めたら、議員も辞めるべきと言っていた前総理、辞めないのだそうだ。情けない、と自分を思わないのだろうか。今日の政治討論番組をみていても、情けないことのあまりの多さにここには書ききれない。
人目を気にしすぎもよくないけれど、少しは気にしてほしい。

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