洗濯日和(4)

アフリカでの洗濯体験を書いたが、現地の人のやりかたを書いたわけではない。現地の人たちは、洗濯をどういうふうにしていただろうか。

もう帰国して10年以上たつので、さだかな記憶がなくなった。まず、出かけてもあまり洗濯ものをみかけない。近くにあった大病院の庭では、芝生の上に大きな洗濯ものが干してあった。ここでは洗濯ものを草の上に広げて干すのか、と感心したことがある。

ここでは洗濯は贅沢な仕事だ。停電が頻発することより、各戸に水道がはいっていないことを考えるべきだ。20戸から30戸に1個の水道蛇口がある。そこから水汲みをしている状態だ。水を汲むためのバケツも満足にもっていない。

世界でも有数の大河のそばにあるこの都市において、こんなに水に苦労するとは。また雨季には浸水するほどの降水量があるというのに。

洗濯をする、ということは着替えを持っているということでもある。洗濯をして干している間に盗まれることも考えにいれておく必要がある。洗濯が家事としてできる家庭は、それなりの生活程度があるということになる。

石鹸も貴重品だ。一度石鹸工場を見学した。川の上流からヤシの油が運ばれる。それを使って石鹸が作られるのだ。手作りの石鹸のように、まだ油が残った感じがする。石鹸分がなかなかとれず、合成洗剤になれたものには、ちょっとしつこい。

しかし考えてみると、まったくのビオの石鹸だ。テレビでは鶏印の石鹸がよく宣伝されていた。衣服の洗濯にも、洗車にも使われる。汚れ落としに苦労している妻に、夫が鶏しるしの石鹸を持ち帰る。おどろくべき洗浄力に、妻は夫に感謝するというほほえましいシーンが楽しかった。

それにしても洗濯が贅沢とは!!毎日の洗濯ができることを感謝しなければ。

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