ターシャ・チューダーの名言

昨日、BS3で夜7時から11時半?までターシャ・チューダーの番組をやっていた。ターシャ・チューダーとはどんな人といわれると、きちんと説明ができるわけではない。

不確実な部分が多いが、アメリカのヴァーモント州に住んでいた90歳台の女性で、2008年6月92歳で亡くなられた。絵本作家であり、ガーデニングで有名でもある。

日本で有名になられたのは、もう老女となられてからのことなので、白髪をスカーフでおおい、ロングスカートにショールを羽織って、ゆっくりと庭仕事をなさっている姿が映像化されている。

その庭たるや、東京ドームの面積の10倍以上あると言っていただろうか。それを独りで維持しているのである。もちろん、息子や孫の手伝いもいくらかはあるが、本質は独り仕事なのだ。

我が家もターシャとは比較にならないが、小さな庭があり、つれあいともどもガーデニングは趣味である。ヴァーモントほど寒くはないが、やはり寒冷地で、冬場は雪に閉ざされる。

彼女のことば、昨日の番組を録画しているので、じっくり見た後でまた書くつもりだが、ガーデニングには辛抱が必要という。12年はかかるというのだ。辛抱したあとには、喜びが待っているとか、思うようにならないことばかりとか、また球根を植えるには、いろんな条件(太陽、地質、降雪の予想)を考えて、深さや方向を決めるなど、本当に傾聴に値する言葉ばかりだった。

このごろはすぐに目に見える結果を求めるが、この12年のタームで考えること、つまり長期的視点というのを、もっと取り入れてみようと思ったのである。ちなみに私はまだターシャの年齢にまで相当あるので、ゆっくり構えられる。

断・捨・離はできないわ

あと10日あまりで2010年は終わりです。ただ年が変わるだけなのに、なんで大掃除や片づけをしなければならないのでしょう。

ひとつのきっかけではあります。そうでもなければ、日頃の掃除もさぼりがちな、落第主婦の身としては、不要物がたまっていくばかりです。

今年のはやり言葉に断・捨・離というのがありましたね。捨てられない症候群の人たちに、特効薬のような言葉です。

私もあふれるほどのものがあります。10年以上着ない服、体型が変わって着られなくなった服、もしもの場合のため(恐れ多いところへ伺う)のヒールのあるちゃんとした靴、バッグもパーティ用など、たくさんあります。

この10年、それらを利用する機会は数回でした。その時のために残しているもの、ばかばかしい気もします。
それ以上に母の遺品がたくさんあります。母は骨董品が好きで、蒐集していました。価値としてはたいしたことはないのだろうと思います。

でも一時期、私が灰皿を集めていた時、お茶席での煙草盆や、なにかしら関連のあるものを集めてくれました。そのほか、陶器や漆器などもたくさん残っています。

重箱など、何組あるでしょう。それも大きいもので10段くらいあるものもありました。長持ちの中に鎮座ましましています。
処分すればどんなにすっきりするでしょう。でも一度、フランスへ帰国する友人にいろんなものを進呈しました。友人へのプレゼントですから、それはそれで納得してのことだったのに、今になって、なんだかその品々を思い出すのです。


今日は小さなぐいのみのコレクションをだしてみました。日本酒をのまないのに、たくさんあります。ビオットのリカー用グラスもその中にはいっています。漆の盃もはいっています。
使わないのにと言えば、ほとんどのものがそうです。

でも持っているというだけでほんわか満足した気分が味わえる、そんな効能もあります。
一つ、二つ、友人にあげて、今日はちょっぴり整理した気分ですが、本格的な断・捨・離は無理です。

身体髪膚これ父母にうく

「身体髪膚これ父母にうく、毀傷せざるは孝のはじめなり」ということばを知っているのはどの年代までだろうか。

私が小さいころ、おてんばをしてけがをすると、いつも親が言っていた。子供だからころんでひざをすりむいたり、切り傷を作ったりはあった。そのたびに親が口にするこの言葉は、大けがをしたら、親が悲しむだろうから、危険なことをしてはならない、と戒めになっていた。

大人になって、小さいところではピアス、大きいところでは初体験、というとき、この言葉がブレーキになった。はたして、この言葉を無視するほどの必然性があるか、と思うと、ピアスの穴さえ開けられない。

この言葉を、現代の家庭で言われることはあるだろうか。耳だけではなく、鼻や唇、おへそにピアスをつけ、タトゥーをしている人を見ると、親不孝なことをしているという自覚があるのだろうか、と聞いてみたくなる。

ましてやリストカット、自殺となれば、この言葉を知らないに違いないと思う。この言葉の重みが昔同様に現代に通用するとは思わないが、幼児のころから言ってきかせれば、なんらかの効果はあるように思う。

そうしてみると、もったいない、みっともない、なさけない、などに加えてもいいかもしれない。

フランスのお手伝いさん

昔、フランスのお手伝いさんはla bonne(ラ・ボンヌ)と呼ばれていました。今はfemme de menage(ファム・ド・メナージュ)と言います。日本でも女中さんから家政婦さんとか家事手伝いと呼び方が変わりました。

我が家(生家および婚家)に、お手伝いさんはいない。通いの家政婦さんをお願いしたこともない。したがって、日本ではどんな風に仕事をお願いすべきか、知らない。

ちょっとフランスのお手伝いさんの仕事ぶりをお知らせします。毎年2-3週間をすごすパリのA家。通いのお手伝いさんがいます。その昔は住み込みだったようですが、現在は通いです。そして午前中だけです。このお手伝いさんは、A家のほかにあと2軒ほど働いています。

朝8時、新聞片手に台所のドアから入ります。台所の食卓でA夫妻と私が朝食をとっています。
ボンジュール ムッシュー、ボンジュール メダム(女性が2人いるので複数で)、と元気のいい声であいさつです。

彼女はコートを玄関のコートかけにかけ、台所の片隅においた靴に履き替え、エプロンをつけます。食器洗い機から昨日の食器を出し、置くべき所においていきます。流しには使ったフライパンや鍋がそのままなので、それを洗います。

台所関係をすませると、A夫妻の寝室で、ベッドメークです。日本人と違って、A夫妻は毎日お風呂にはいるということはありません。いつはいっているかわかりません。ですから、お風呂掃除はいらないのです。お風呂、トイレ、洗面所がかたまって、寝室のわきについています。

クリーナーは大体週に1回の割合でかけているようです。洗濯も多くて週に1回、ですからアイロンかけもそれにあわせてです。

11時くらいから、夫妻の昼食を下ごしらえします。コーヒーもドリップ式で、テルモと呼ばれる魔法瓶にいれておきます。温めればすむだけにして、彼女は自分の昼ごはんを作ります。下ごしらえがすんでいて、ちょっと温めればいいだけになっています。

A夫妻の家には、オーブンはあるものの、電子レンジはありません。ですから、ちょっと不便です。彼女はサッサと昼を食べ、週日ならア・ドマン(また明日)、金曜日ならボン・ウイークエンドと言って、次の職場へと行くのです。

とても能率よく働いてくれます。けっこう高給取りです。このごろは彼女が賃金を決めるのだそうです。フランスは家事労働者についても、社会保険を完備させています。したがって、年金もあり、老後も保障されているのです。

私もフランスでお手伝いさんをしようかな、と若いころ考えましたが、彼女をみると、とても無理だということがわかりました。でもしか、ではできません。
年末の大掃除をしなければ、と追われた気分の今日この頃、彼女が海外出張をしてくれないかと思う気持ちがでてきます。

母のカーディガン

今日は12月16日、たしかベートーベンの誕生日です。同じく誕生日の友人がいます。彼はベートーベンほど有名ではなく、音楽家でもありません。共通項は男性であることでしょうか。

母の形見のカシミアのカーディガンがぼろぼろになりました。肘や袖口、ほつれたり破れたり、さんざんな状態です。一挙に劣化が進んだようです。

確か、私が最初の外国旅行でイギリスに行った時、おみやげとして買ったものです。濃いブルーで、少し長めの丈、V字のネックです。ロンドンのスコッチハウスで買ったのを覚えています。当時、カシミア製品はとても高くて、母にだけカシミアを買ったのでした。

母が亡くなった時、衣類の中から、持ってきました。買ってから30年以上たちます。母が亡くなって8年、私だけでも8年は着ているのです。もう十分、役目を果たしたといっていいのでしょう。この冬の間、一応とっておいて、少しずつ覚悟していきましょう。

古い服の処分をするとき、いつもフランスA家のお手伝いさんを思い出します。今は午前中8時から12時までの家政婦さんですが、スペイン人です。彼女はいつもどこの奥様か?と思わせる服装をしています。それもそのはず、彼女が働いている家はほとんどすごいブルジョワですが、そこの奥様たちからのお下がりなのです。

品のいいツイードのスーツ、時には毛皮のコートを着ていることもあります。彼女は洋裁もできるので、お下がりでもらった服を、自分のサイズに直してきています。

フランスのブルジョワ家庭は、物持ちはとてもいいので、それらの服はもう十分着られたものでしょう。そのお下がりをまた丁寧に着続けていくのです。

日本でだと、奥様のお下がりはありがたがられないでしょう。お古より、ユニクロの新品がいいわ、といわれそうです。

頼りにできない自衛隊

今日午後2時、韓国ではいっせいに避難訓練が行われたということだ。これは先のミョンドン島を北朝鮮が砲撃したことから、行われたのだろう。それでなくても、年に数回は行われるという。

地上から人は消え、車は放置されたまま、地上に動くものがなくなる。それだけの人数を収容できる地下壕(地下鉄などが使われているようだが)や施設が準備されているというのが驚きだ。

あるテレビ局の報道では、これだけの準備がある韓国に対して、すぐ隣の日本はその種の訓練はゼロというのが危惧される、と論評していた。なら、訓練を実施するよう、政府に対して、キャンペーンをするかというと、そんなことはなく、ただ論評するだけなのに。

先日の報道では、在韓の邦人をいざという場合、どういう形で日本に引き揚げさせるか、検討されているという。救援機を派遣するのだろうが、それは自衛隊の飛行機ではない。自衛隊は救援目的でも、紛争地へ出ていくことはできない。

危険なところにこれない自衛隊、これは自衛隊が臆病なせいではない(臆病な人もいるかもしれないが)。法的に整備されていないせいらしい。いわゆる自衛隊であって、軍隊ではないし、在外派兵はできない。

本当にもどかしい。といっても、もし在外派兵を認め、在留邦人保護の名目で派兵ができるようになれば、それは拡大解釈もするようになるだろう。その危険を思えば、現状でも仕方ないように納得したりする。

アフリカにいたとき、内乱がおこり、首都陥落の危険があった。私は外務省の「家族退避勧告」が出た段階で、民間機(まだ運行されていた定期便)で逃げ出すことができた。


アメリカはもともと海兵隊が大使館を警備しているし、ベルギー、フランスなど、駐在武官とともに相当数の兵士がいたようだ。

日本大使館には駐在武官もいなかった。危ない国には派遣されないのだという。駐在武官が1人いるだけでは、どれだけの助けになるのかわからないが、武官すらいない、という現実に不安で仕方なかった。

あのドンパチの雰囲気を現場で味わい、情報分析を演習ではなく現実にすることで、プロとなっていくのでは、と思うのだが。

避難訓練などしなくてもいい、と思っている日本、平和ぼけなのか、これが正しいあり方なのか、私には判断できない。

気になることば

このごろ、もう耳にするのがいやな言葉がある。それは”させていただく”という表現だ。兄によると、この表現を使い始めたのは、前首相だという。

いかにもへりくだっているようで、上からのものいいであることがみえかくれする。本当に謙譲、あるいは受け身の意味で使っているケースはほとんど感じられない。

先日の歌舞伎俳優の記者会見でも、何度この表現を使っていたことか。自分たちの結婚についても”結婚させていただいた”と言っていた。結婚は両性の合意のみに基づいてするもので、させていただくものではない。

もしかしたら、ひいき筋とか、親などの意図が別にあるのだが、そこを押して結婚したという意味だろうか、とついうがってみてしまう。どうして、結婚いたしました、とあっさりした言い方をしないのだろうか。

政治家、芸能人、言葉に敏感でなければならない放送界の人たちもその例外ではない。
させていただくと言えば、批判されないとでも思っているのだろうか。

そのほかに、もうひとつ、”とんでもない”、もある。私のつれあいも、なんど注意しても”とんでもございません”などと言っている。”とんでもないです”とか”とんんでもないことでございます”という表現を使える人は10人に一人もいない。

ことばは変化する。これも許容範囲の一つなのだろうか。


13種のデザート

今日は13日、13の数字にちなんで、プロヴァンスでのクリスマスの習慣”13種のデザート”について一言。

フランスのクリスマスディナーのデザートでは、薪の形をしたビューシュ・ド・ノエルが知られている。しかし、南仏では伝統として13種のデザートが用意される。
キリスト教で嫌われる数字13をなぜ使っているのだろう。それはやはりキリストと12人の使徒に由来している。

13種のデザートとは何だろう。くるみ、乾燥イチジク、アーモンド、ハシバミの実、干葡萄、リンゴ、西洋ナシ、プルーン、メロン、黒と白のヌガー、あとverdeauとpompe a huileというのが加わる。

これらは夏から準備されるもので、この冬のさなか、真夜中の食事の場に、太陽の恵みを感じさせる。

木の実や干した果物などが多いので、私にはあまりうれしいデザートではなかったが、プロヴァンスの人々にはこれがなければクリスマスではないのだろう。

キリストの復活を最初に見つけたマグダラのマリア(フランス語ではマリー・マドレーヌ)がその最後のころをすごしたという伝説のあるサント・ボームという洞窟でのクリスマス深夜ミサに与ったあと、修道院でお茶をごちそうになったが、その時もこの13種のデザートが準備されていた。

あと12日でクリスマス。

もったいない、みっともない、なさけない

先日、友人が”もったいない”は世界的に有名になったけど、”みっともない”のほうが使いでがあるのでは?と言っていた。

それに私は情けないを加えたい。今の世の中、武士は食わねど高楊枝、といった気概をもつ人はいないように見える。フランスの友人はnoblesse oblige(貴人の義務)あるいはamour gratuit(無償の愛)を口にする。

日本では損得づくで、なにもかもが動いているようだ。収益性や効率、こういった言葉でははかれない静かな、100年単位で考えるべきこともあるだろうに、即時の効果がなければ、無用と断じられてしまう。

そんな考えを是としてしまう忙しい世の中。また安ければいい、とか、ただのものに群がるといった、行動が多すぎはしないだろうか。

昔は立ち食いは無作法だった。アメリカで育った友人が、コーラの缶を手に現れ、飲みながら歩くのに、ショックを受けた。これがアメリカ的自由なのだ、と、すぐにまねした。
でも、今では落ち着かない。飲み食いはきちんと座って、場所柄を考えて、と思う。なんだ、昔、祖母にきびしく言われていた通りだ。

政治家の言葉の軽さ、首相を辞めたら、議員も辞めるべきと言っていた前総理、辞めないのだそうだ。情けない、と自分を思わないのだろうか。今日の政治討論番組をみていても、情けないことのあまりの多さにここには書ききれない。
人目を気にしすぎもよくないけれど、少しは気にしてほしい。

倹約の心

モッタイナイの言葉が世界で通用するようになったという。そんなことを言わなれなくてもわかっています、と言いたいが、自分の生活を省みれば、ずいぶんモッタイナイことをしていると思う。

まず、洗顔するとき、水道を開いたままでしている。ティッシュペーパーをよく使う。トイレットペーパーの消費も激しい。明かりも各所につけたままで平気だ。

フランスの知人宅でみていると、本当に無駄がない。ティッシュペーパーはない。鼻をかみたいとき、彼らはハンカチーフを使う。明かりは天井からのものはなく、必要なところのスタンドだけをつける。

パリの別の友人に赤ちゃんが誕生した。お祝いにいこうとしたら、この知人もお祝いの品を持っていってほしいという。そして出されたものは、40年以上前、自分たちの子供に使ったよだれかけであった。きちんと洗濯がされ、アイロンもかかっているが、よだれかけ、だからシミもある。

このものを大事にする心、生半可ではない。その最大のものは50年以上前の冷蔵庫をまだ使っていることだ、と思っていたが、もっと古いものを使い始めたのにはびっくりした。

それはオマルである。高齢者とて、就寝中にたびたびトイレに起きる。トイレは寝室のとなりにあるが、それでも昨年、夫人は転倒し、腕を骨折した。そこで、簡易トイレをベッドサイドにおくようにしたのだが、中世のものなのである。玄関においてあったが、骨董品としてであった。それを寝室におき、実用としているのだ。

使い心地はわからない。しかしけっしてよいとは思えない。それに使用後の洗浄も簡単とは思えない。いまどきのオマルを買えない人たちではないのだが、買わないのだ。

ここまでのモッタイナイ精神、私にはとうてい無理だ。

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