昔もいじめはあったのかしら

このごろの「いじめ」問題に関する報道をみていて、私自身の小学校、中学校時代を思い出した。もう思い出せないほど、昔のことなのだけれど。

自分でいうのはなんなのだが、小学校時代から、身長はあり、大人ばかりの中で育ったので知識はあり、成績もよかった。いつも学級委員、いわゆる級長、中学では学級委員長(私のクラスは男性が委員長、私は副だったが)、をつとめていた。

わりと姉御肌で、面倒見がいいというのか、気がつくというのか、新学期にはきっと忘れものをする人がいるだろうと、持参が義務付けられた雑巾を余分にもって行ったり、特別の図画工作という場合には、道具類を複数持参するという性格だった。

人をいじめるという意識はなかったが、ひとつ気持ちに残っていることがある。それは小学校高学年の時、同じ方向で帰宅する友達3人でつるんでいた。私が一番近かった。
当時、私は個人差があるということに気付かなかった。成績の差は、努力の差と思っていた。だからその3人組の残り二人に対し、「物足りない」と言ってしまったのだ。

二人を傷つけてしまったのだろう。翌日から、二人は私と別に下校するようになった。何が原因かわからないまま、他に下校仲間をみつけたのか、あるいは一人で帰ることに慣れたのか、そのまま小学校は終わったようだ。

わが家は11人家族で、貧しい生活だったが、母も働いていたので、給食費を納められないというほどではなかった。納められない級友がいたことは知っていたが、それをいいたてるような子どもたちはいなかったと思う。
ある大会社の社宅に住む同級生のところでは、遊びに行った級友たちにケーキと紅茶が出され、そんな接待をうけたことがないので、びっくり仰天し、帰宅して親に話したものだった。

ある級友の家は、ラーメン屋で、遊びにいったら、ラーメンを1杯御馳走してくれた。ラーメンを食べる、外食をするというのは、わが家にとって、とても贅沢なことだったので、そのラーメンにも感激し、毎日食べられる級友がうらやましくなったけれど、商売物のラーメンを毎日食べられるはずがないことなど、小学生の私には理解できなかった。

体操服がお下がりであっても、上履きが人と違っていても、そう気にするひとはいなかったように思う。そんなことで、はやしたり、いじめたりはしていたなかった、と思う。
やたら、教条的な正義感で、掃除当番をさぼる男児などには、強くあたった記憶はあるのだが。。。

去年は中学を卒業して50年を記念する同窓会があったけれど、いじめられたという人はだれもいなかった。出席していなかったのかもしれないが。それより、いじめられたよな、という先生はいたけれど。
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