保守と革新

保守と革新というように、2極対立時代は、単純でよかった。というと語弊があるが、現在の政党図をみていると、2大政党ともいえず、それかといって、アメリカの共和党と民主党というような対立図でもない。
民主党と自民党はどういう違いがあるのだろう。

自民党は消費税については、一応党内統一がとれているらしいけれど、TPPや農業問題などについては一枚岩とはいえないようだ。民主党においては、すべての問題において、反対・賛成が入り混じっているらしい。
マニフェストで八ツ場ダム建設は中止すると、第一に記しておきながら、2転3転、いま何回回転したのかわからない状態だ。
これが昔なら、大公共工事は、大会社、大建築会社の収益を増やすものだから、それをやろうという政党は保守、反対するのが革新と簡単に色づけできたものだった。

米・ソの対立構図であれば、自由主義・資本主義サイドなら米側につき、共産党系ならソ連側だった。冷戦が終わり、2極時代が終われば、戦争の危機がなくなったと言えるのかと思えば、局地の戦争や相手が定かでないテロの時代になる。

私は単細胞の人間で、複雑な思考があまり得意ではない。だから、この対立思想で育ったし、右じゃなければ左という行動をとっていた。どちらかといえば、革新である。革新とか変革といった言葉に酔っていた。
既存の制度への不平不満は山ほどあるし、それを革命ででもひっくり返すことが、若者の義務であるとまで思いこんでいたころもあった。革命とか、アナーキスムなど、言葉の魔力に騙されていたともいえる。

いつの間にか、既存の制度に飲み込まれ、また急激な変化についていけなくなったことから、これが保守とよばれる考えだよと言われるような立場にたつようになっている。
でももう一度、革新派になりたい。こんなに固まってしまった社会を、ほぐして、形を現代にあうように変えなければ、と思っている。

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