海外留学

東京大学が5年後に秋の入学にすると発表したので、論議を呼んでいる。秋入学の制度をとっていない国は、たったの7カ国で、ほかは9月入学なのだそうだ。これは教育のグローバル化の最たるものだろう。
9月入学制度にすることで、海外への留学、あるいは海外からの留学生の受け入れが簡単になるという。

海外留学、憧れだった。私の時代は、自費での留学というのはほとんど考えられず(ドルが自由に手に入らない時代)、国費留学というのは、超エリートにだけ許されるもの、外国の招へい制度を利用するのが一般的だった。
高校生には、アメリカのAFS奨学金というのがあった。アメリカの高校へ1年間留学するのだ。アメリカの家庭に寄宿して、学校に通う。
日本全国でこの選抜試験は行われた。トライした。が、落ちた。たいした英語力もなかったのに、希望だけで受けたのだ。当然の結果だった。

ほとんどその失敗で留学の可能性の少なさを実感したのだが、心の中には憧れだけは持っていた。だから、フルブライト奨学金やら、フランス政府の留学制度など、名前だけは知っていた。
しかし、それらの奨学金を受けるための求められるレベルの高さには、自分の能力のなさを実感するばかりだった。
友人の一人に、AFS奨学金で留学し、さらにフルブライトでも留学したという人がいる。大学人となっているが、尊敬やら憧れのまとである。

現在では、自費留学というのもポピュラーで、手続きも簡単にできるし、費用も昔ほど高額ではない。短期留学などと称して、月単位のものもあるらしい。とくに語学留学などはそうだ。

語学を学ぶために留学します、と別の友達が仕事場(新聞社)の先輩に言ったら、語学なんて、現地にいけば子どももしゃべってるんだ、学ぶものじゃないよ、と言われたらしいが、そんなものではないと思う。言葉というのは、きちんと学ばなければ話せない。単語で結んで会話が成立したと思っても、それはレベルの低い会話にしかすぎない。

つれあいの仕事の関係で、南仏に住んだ時、政治学院という大学校に在籍したことがある。入学試験を受けた正規の学生あるいはきちんとした留学生ではなく、聴講生という立場である。試験は受けなくていいし(受ける資格がない)、出欠の対象にもならない、気楽な立場である。それでも、まじめに通った。講義のほとんどは、メモをとることもできないほど難しく、記憶にのこらないけれど、アカデミックな雰囲気がよかった。きちんとした言語をきけるのがとてもよかった。

18歳くらいの学生と話す機会が得られるのもよかった。学校が一種のエリート校であるためかもしれないが、学問に対して、とても前向きだった。そして、高校時代にもう英語習得のために、イギリスなり、アメリカなりに留学経験があり、さらに、政治学院在学中にも再度留学をするのだという人が多かった。
きわめて能動的で、英語を習得したあとは、スペイン語系の国で1年間ほどすごすのだという。日本語にたいしても意欲をもっていた。

日本では、このごろ、海外留学が下火になってきたという。身内の若者の中で、甥がMBAを取得するために、イギリスへ2年間留学したけれど、ほかに意欲をみせるものはいない。「なんでもみてやろう」にあこがれていた世代の私としてはさびしくて仕方ない。
留学してどうなる、と言われても、どうなるのかはその本人次第だし、留学が遊学になるかもしれないが、定型外の人生を送りましょうと、若者には言いたいのだ。
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