待降節第一主日

ちまたでは、もう11月にはいったところで、クリスマスというのか、年末にむけての飾り付けが始まったけれど、教会では今日がそのスタートになる。
今日から4週間後に、降誕祭となるわけだが、早々、クリスマスムードに入っていると、なんだか間延びした1カ月になってしまう。

教会の中には、天井まで届くような大きなクリスマスツリーが飾られていた。軽井沢の教会のツリーは、生の木である。教会が小さいので、生誕の場面(クレーシュ)が再現されるのかどうかは知らない。

クリスマスというのは、本当に不思議な祭事である。こんなに世界中で祝われることは、他にないだろう。キリスト教国ではない日本では、12月25日は祝日ではないけれど、24日のイヴまでの日数がカウントダウンされたり、テレビなどでの扱いをみると、日本もとうとうキリスト教国になったのかも、と思ったりだ。

信者でありながら、処女懐胎、あるいはキリストがしたという奇跡の数々、寓話など、なんだかわからないまま、降誕祭は、友人、できれば恋人とすごしたいと、若い時代は最重要の行事だった。今や、寒い時期だし、人ごみはいやだし、と家クリスマスに徹している。

降誕祭に復活祭、毎年、キリストの愛を説かれるが、いつになったら、愛が世界を支配できるようになるのか、と懐疑的にならざるを得ない。

こんなにクリスマスが祝われるのに、日本でキリスト教が普及しないのは、どんな理由があるのだろう。本来なら宗教は開放的で、人を受け入れるものだろうが、キリスト教がそうなのか、自信がない。今、通っている教会も、すでに洗礼を受けた信者としてはいったので、すんなり受け入れられたけれど、もしそうでなければ、難しかったように思う。

そして、キリスト教徒でない人たちからは、私がなにか意にそわないことをすると、「クリスチャンのくせして」といった批判をうける。その行為が宗教とは関係なくてもそうである。クリスチャンであることは、聖人君子と同義語らしい。

この1カ月の間に、告解をし、心身を清めてクリスマスを迎えるのだが、今年は告解をすることがちょっと多すぎるような気がしている。
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