カダフィの死

金曜日以来、ニュースのたびにカダフィの死亡時の映像が流れる。日本の放送での映像と、外国メディアのそれとは同じではない。入手した映像の違いなのか、編集による違いなのかはわからないが、外国メディアの物の方が詳しい。

反カダフィとして、政権を担当する国民評議会の代表は、「カダフィは死亡した」とだけ言い、どういう形で死亡したのかには触れない。映像をみていると、興奮した兵士あるいは群衆によるリンチと銃による射殺とみられる。
この殺害について、国連や西欧の団体は、問題があると批判している。

カダフィの最後をみていると、デジャヴュという形で、イラクのフセインがつかまった時の光景が思い出される。あの時は、たしか、アメリカ軍の兵士によって確保されたように覚えている。イラク人民ではなく、アメリカ軍だったから、命をとられることまでいたらず、裁判にかけられた。

カダフィの場合、逃亡中、自国の解放軍によってとらえられた。国民にとって、憎んでも憎んでもたりないほどの、恨みの対象だったはずだ。冷静に生かして、裁判にかける、ということが頭にあったかどうか、もしあったとしても、少しは痛めつけて、恨みの一片くらいはらしたい、その結果、少しの血をみて、もっと興奮してしまった、ということもあり得るだろう。

BBCでは、遺体がコンテナーの中に安置され、それを見るため、民衆が行列をしている場面をみせていたし、遺体そのものも写していた。
イスラムでは、写真を撮られることをきらうと聞いていたが、遺体を写すという行為はどうなのだろう。

カダフィが殺されて、彼の42年間も闇に葬られたことで、ほっとしている人々が多いとか。フランスの政治家などにもきっといることだろう。
フランスにはFrancafrique(フランサフリク)という閥がある。アフリカと利害関係(ほとんどが利のみだが)をもつ人々の閥だ。古くはミッテラン大統領の息子や、パスクワ元内務大臣などが、アフリカ諸国との密接な関係を問題視されていた。つまりはアフリカへの援助がキックバックされていたのだ。
アンゴラゲート(アンゴラとのスキャンダル)、ジスカール・デスタン元大統領のダイヤモンド事件、表にでたもの、隠れたままのもの、スキャンダルは数しれない。

きっとカダフィとの間にもそんな関係があったに違いない。それを暴露されないですむことで、安堵した人も多いだろう。

アラブの春というのは、ベルリンの壁の崩壊や、ソヴィエト連邦の分裂などと同様に歴史の大きな転機であろう。もっときちんと見ていかなければ。
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