母の命日

今日は母の命日だ。何回目かは忘れた。こんないい加減さをつれあいは批判するけれど、命日を覚えていただけ、まだいいと思っている。

母は89歳と11カ月で亡くなった。誕生日には会いに行って、90歳のお祝いをしようと言っていたのだが、その前に大腸がんがわかり、手術をするのしないの、高齢もあるので、いろいろ迷ったあげく、手術をすることにし、検査をうけようとして、検査のための水を飲みきれなかったそうだ。結局、検査、手術はあきらめようとなったのだが、おそらくはその辺で、癌よりも体力がなくなっての死亡だったのだろうと思っている。

母は50代にキリスト教徒となった。私とは違い、プロテスタントの系統だ。どんないきさつ、心境でキリスト教徒になったのか、聞いたような気もするが、ほとんど覚えていない。
最後の数年間は、老健施設というのだろうか、少し介護が必要な高齢者が入所する施設ですごしていたが、最後のころには、死を意識してのことか、一応のことを書き残していたようだ。

教会で歌っていただく讃美歌、読んでいただく聖書の部分、着るもの、お棺にいれるもの、一通り書き残してあったという。

母は九州だが、私は当時、東京に住んでいたので、死に目には会えなかった。近くに住む弟すら、間に合わなかったようだ。

今も離れているから、お盆もお彼岸もお墓参りに帰ることはない。仏教徒ではないから、お盆やお彼岸のお墓参りもないのだが。
父は実家の墓に入っている。実家の近くに菩提寺があり、その墓地に墓がある。母はそこにはいることを拒否した。母が拒否したのか、お寺さんがいやがったのかは定かではない。母のお骨は、母が属した教会の共同墓所にはいっている。

お墓参りに帰っても、父と母と別々にお参りすることになる。母の眠る墓所は、耳納連山の山腹にある墓地の中にあり、なかなか大変だ。

母はその墓所に入った最初の人で、わが家の専用みたい、と言いながら、さみしいだろうな、と思っていたが、1年もしないうちに、同じ教会の仲間が入ってくださったようだ。

こうしてみると、お墓というのも、家族だけのものではなくなっている。宗教色のない墓地にあるお墓ならいいが、菩提寺というのも、考えものだ。

現実にわが家もそのうち直面しそうだ。つれあいは前妻が亡くなったとき、前妻の実家と同じ宗派のお寺に、前妻の実家と合同の墓を作った。つれあいの実家と同じ宗派ではないが、つれあいはそのお墓に入るのだろう。

さて、私はどうしようとこのごろ考えるようになった。お寺さんのお墓には入れない。今通っている教会に、お墓があるかどうかは知らない。実家の墓もお寺さんにある。母は母の属した教会の墓所だ。そこにも入れない。
自分用に準備するか、フランスの友人が言うように、地中海に散骨するか、それとも今住んでいる土地の、気に入りの樹木の根っこに樹木葬にしてもらうか。

母はそれなりに身の始末をして亡くなったが、わが身はそうできるか、もうそろそろしておいた方がよさそう、と母の命日に考えている。母の好きだった秋の野花、萩、オミナエシ、オトコエシ、水引草、金水引、などを庭からとって活けてある。母に聞きたいことがたまっている。母にもう一度会いたい!!
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