ウィンブルドン・テニス

今、グランド・スラムの一つ、ウィンブルドン・テニスが行われている。伊達公子が惜しくもウィリアム姉妹の一人に敗れたが、1996年(?)、グラフと準決勝で戦ったゲームを私は現場でみた。

ウィンブルドン・テニスには合計3回、観戦にいったことがある。1度目はまだ20代最後のころで、若かった。テニスの格好で観戦し、そのあと、夕食にはいったレストランで、「試合はどうだった?」と聞かれ、選手と間違われたことに気付いた。もしかしたら、そうではなく、からかわれたのかもしれないが。

2度目は、もっとあとのことだが、母をつれて、フランスからドーバー海峡を渡り、ロンドンへと入った。入手したチケットは、2日目で、女性の昨年度の優勝者がセンターコートでプレイする日だった。当時はナヴラチロヴァ全盛期で、当然、彼女がセンターコートに現れた。あまり人が多くなかったので、コートのすぐそばの席に移動して、観戦したことを思い出す。なんとものんびりしていた。

試合の開始時間は、午後2時から。日本の感覚でいえば、遅すぎる。ところが、イギリスでは夜の9時でも明るいから、2時からスタートしても十分、試合がこなせるのだ。日没で順延となるのは、何時だっただろう。
1996年の伊達公子とグラフの試合が、日没順延となったとき、せっかく伊達公子が調子をあげていたので、とても残念だった。

どうして日没の時間になったのか、それはお天気が悪く、試合開始が遅くなったからだった。何時間待ったことか。現在は屋根付きになったようだが、その当時は屋根はなく、雨が降ると、コートにカバーがかけられた。そんな状態のまま、何時間も試合開始を待った。ウィンブルドンのチケットは、プラチナ・チケット、それもセンターコートの貴賓席近くのベストポジション、日本でなら、気の短い私のこと、きっと帰ったことだろうが、本当に待った。

翌日のチケットも入手していたので、伊達の試合は最後まで見ることができたのだが、本当に残念だった。センターコートの試合に飽きると、ナンバー2コートは同じく指定席で、入れなかったが、それ以外のコートは、自由に観戦できた。もちろん、センターコートやナンバー2コートの指定席を入手できなかった人たちが、それぞれのコートに押し掛けていたけれど。

初めて観戦したとき、センターコートで前年度チャンピオンのナヴラチロヴァが戦ったが、2度目にいったときは、一度引退し、その後復帰して、女子ダブルスで登場していた。シードもつかず、一般の選手扱いだったが、ダブルスでとても楽しそうだった。

ストロベリー&クリームを休憩時に食べて、ウィンブルドンは最高だった。もう一度、行ってみたいな。などと、テレビで観戦しながら、我が家の庭のイチゴを食べている。
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