原子力教

この宗教は、これまでのキリスト教やイスラム教、仏教などと同様にグローバルである。一神教の国でも広く信じられている。

始まったのは1950年ごろだから、そう古い宗教ではない。誰が始祖ともわからないし、けっこう同時多発的に始まったようだ。この宗教を信じているものは、たがいに競争はするが、争いはしない。どちらかといえば、結束が固く、身うち意識が強い。

現在、もっとも流布している国は、フランスである。85%の信仰率(発電率)である。1956年にフェッセンハイムというところに初めての教会(発電所)建設をみた。耐用年数(60年)があるから、この教会はもう機能していないはずだ。
まだこの宗教をとりいれていない国も多い。取り入れるための初期費用は莫大なものだからだ。

日本でもこの宗教は浸透している。沖縄を除き、本土全体に教会が散在している。いづれも海のそばだ。それは、教会はとてつもない熱を発生するため、冷却しなければならず、その冷却水を海に求めてるからだ。大本山のフランスでは、大きな川がいくつも流れているために、海ではなく、川岸に建設されている。

新興宗教は常にいくらかのいかがわしさを持っている。いかがわしさをごまかすには、正当性を主張しなければならない。原子力教の場合は、その廉価なこと、環境を汚さない事、教会周辺の市町村に献金をすること、冷却水として使用し、暖められた水を海に放水することで、漁場が豊かになる、といったことなどだ。

無理に主張された正当性には、やはり無理がある。そして隠された事実というものもある。たとえ初期費用が他の教会(火力、水力)より安上がりであったにせよ、終末費用(この語は造語)まで計算にいれていないことや、事故が起きた場合の災害の大きさだ。

今回の福島原発事故、いかに費用がかかろうと、早く収束させてほしい。そして収束したあと、かかった費用を全て、福島県の住民に払った賠償金、野菜は酪農製品の補償、ほかにもたくさんの払うべきものがあるだろうが、全てをきちんと詳細に世界中に発表して、この宗教を信奉することのコストを示してほしい。

でもこの宗教を信じる人のなんと多いことよ。知的レベルの高い人に多い。彼らは大体、この宗教をおいて、現代のエネルギーをカバーできるものはない、という。そういわれると、馬鹿な私は、そうなのかしらと思ってしまう。しかし、宗教というのは情緒的な部分もあるから、以前から半信半疑の状態だったのが、現在では、全疑状態になっている。

海江田大臣が他の原発は安心みたいな発言をなさったが、福島が収束できるという安心を得てからのことにしてほしい。

それにしても、保安院、東京電力、など、記者会見に登場する人たちは、よほど心酔しているのか、私なら真っ青になって逃げたくなるような事実を、冷静・沈着に発表なさるものだ。
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