金子みすゞの詩

私の大好きな金子みすゞの詩が毎日、何十回となくテレビで放送されている。日本広告機構(AC)の、いわばCM放送だ。このAC版CMにはいくつかのパターンがあって、金子みすゞの詩はその一つである。

もう暗唱できるほど繰り返されているので、もういいよという方もあるかと思うが、その詩は次の通りである。
題名は「こだまでしょうか」
「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと 「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。
そうして、あとで、さみしくなって
「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか。
いいえ、誰でも。

このCMでは{やさしく話しかければ、やさしく相手も答えてくれる}と結んでいる。
私には、この詩の最後の部分がわからないでいる。同じことばでこだまのように返事がかえってくるから、「こだまでしょうか」と聞くのはわかるのだが、「いいえ、誰でも」がわからないのだ。

このACのCMでは、以前、別の雀の詩が使われていた。
金子みすゞは、山口県長門市仙崎に生まれ、育ったという。仙崎は仙崎かまぼこでも有名だが、海辺の町だ。だから海を扱った詩も多い。ただ、その海はやさしい海だ。瀬戸内海側ではなく、日本海側だが、彼女の短い生涯の間に、今度のような津波の経験がなかったのだろう。

今度の津波のあとで、金子みすゞの詩を聞きながら、「大漁」という詩がすぐに浮かんできた。
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の大漁だ。

浜は祭りの
ようだけど
海の中では
何万の
鰮のとむらい
するだろう。

津波でさらわれた人々のとむらいを、魚たちも一緒にしてくれているのだろうか。こんな情景を、金子みすゞだったら、どう表現してくれるだろう。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

救国の散財救援のあり方 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。