救国の散財

今朝の朝日新聞の天声人語氏は、懐に余裕のある向きは「救国の散財」をしてほしい、と訴えていた。皆が沈み込んでいては、お金が回らず、再生はおぼつかない、からだそうだ。

交通機関の不規則な運転状況や、毎日時間帯の変わる計画停電では、仕事を終えて、帰宅を急ぐのが普通だろう。アフターファイヴに、映画や外食、ウィンドーショッピング、コンサートなど行く気にはなれないだろう。

そうすると、サービス業にお金が回らず、店を閉めるところもでるだろう。だから余裕のある人は、買い物をしたり、遊びにも使ってほしいというわけだ。

なんだか、この手のスローガンにこれまでひっぱりまわされたような気がする。「消費は善」とばかりに、使い捨てのもの、新しいもの、より大きいもの、がもてはやされ、「節約」はGNPをアップさせないから、悪いことのように言われてきた。

もちろん、消費を拡大すると、生活の質はあがったような気がするし、実際アップしている。でも今になると、のせられた、と思う部分がたくさんある。たとえば、東電のエコキュートの宣伝で、いつでも温かい室内、お風呂はいつでも入れて、快適な生活をみせられた。我が家とみれば、暖房は点でしかない。暖房器具のあるところから、ちょっと離れると、そこは北極並みの寒さだ。

改築して、我が家もセントラルヒーティングにしよう、エコキュートやソーラーエネルギーを使えば、売電もできる、と、とらぬ狸の皮算用もする。

洗濯機も、かっこよいドラム式で、乾燥までやっちゃおう、となり、物干し台のない家で、花粉やほこりを気にしなくて、きれいに干しあがってくれる。そこには、雨の日も気にしなくてよければ、太陽のぬくもりもない。

外に出ると、あちこちに自動販売機があるから、飲み物も食べ物も準備していく必要がない。飲み物のヴァラエティのあること!!外出時に自宅から水筒持参の我々は、あまり利用しないから、ときどきやむなく買おうとすると、あまりの種類の多さに迷ってしまう。

夜のライティングもそうだ。とくに年末年始の華やかな電飾は、どれだけ電気を使っていることか。そしてそれが称賛されていたのだ。

すこしずつ、すこしずつ、消費が増え、贅沢が贅沢とは思わなくなり、現在にいたっている。一回縮小した社会からやり直すというのは、敗者の論理だろうか。

私は余裕がないので、散財はしない。余裕のある人、がんばってね。
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