la misere(ラ・ミゼール:貧困)

昨日(1月23日)、NHKテレビで、ハイチで働く日本人のシスターであり医者である女性を扱った番組をみた。昨年1月17日に大地震がおそい、甚大な被害をうけたハイチの1年後と、この地で20年以上働いているシスターの活動を扱っていた。

1年たったのに、まだテント暮しの人、病院は崩壊したまま、ライフラインも回復していないハイチ、悲惨そのものである。

しかし、崩壊した病院のそばに、テントの病棟が作られている様子をみて、私はもっと悲惨なところを知っていると思ってしまった。

貧困の度合いを競うわけではないが、私が10年前にいたアフリカの某国はもっとひどかった。病院なのにベッドはない。もしあっても壊れた枠だけで、マットレスもない状態だった。
マザー・テレサといった宗教団体が運営する病院は、援助を受けることも多いのか、どうにかベッドに病人が寝ていた。でもシーツが敷かれたベッドは珍しかった。

マザーテレサの病院は、エイズ患者のためであり、また別の病院にはハンセン病の患者のためであった。半ば見捨てられたような有様で、直視できなかった。

貧困、悲惨な状態にある人々にあって、なにもできないのではない、なにかできるのになにもしない、あるいは少しは援助しても、それは気休めと知っている程度のこと、とわかっていると、罪の意識にとらわれる。

日本に帰ることが決まったとき、本当にほっとした。ほっとすることにも罪の意識だったけれど、毎日、とことんの貧困をみるよりは気が楽になると思ったのだ。

美容院にいく回数を1回減らす、おやつのチョコレートを買わない、喫茶店によらないで、自動販売機のコーヒーを立ち飲みする、いろんな倹約の方法はあるけれど、こんなことではどうしようもない貧困、昨夜はあのアフリカの病院の様子が夢にでてきた。
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