ジャスミン革命

アフリカ地中海岸の国、チュニジアで革命が発生した。これを革命と呼んでいいのかどうか、政治学や歴史学などでは問題にしそうだが、ジャスミン革命と命名されたという。

チュニジアには1980年代に一度観光旅行をしたことがある。美しい国だ。観光が産業の一つとして、重要視されていたからか、遺跡や砂漠、海岸、どこもきれいに整備されていた。そしてどのホテルでも、薄いブルーのジャスミンが咲いていた。

ほの甘いにおいがとても心地よく、青い空、乾燥した空気、人のあまりいない遺跡や海岸、魅せられた。もう一度訪問したいと思いつつ、再訪していない。

去年のちょうど今頃、チュニジアの知人ベビア・チヒ(Bebia Chihi)が大臣に任命されたという知らせをもらった。ベビアとはフランスに共通の知人がいて、その家で常々話題にあがっており、彼女も私のうわさをきかされて、お互い、とても知っているような、それでいてまだ会ったことのない関係だった。

ところが、2009年に、その家で遭遇したのである。当時彼女は石油会社の社長で、会議のためパリに来たのだが、ホテルではなく、知人宅に泊まりたいと連絡してきた。そこで私と会ったのだ。

フランスの知人との接点は、彼女が関税局で働いているとき、フランスの関税学校へ留学し、知人宅に下宿したことである。それからずっと交際が続いていた。

2010年1月、どういう経緯かは知らないが、突然大臣に任命されたという知らせがあった。「女性問題・家族・児童・高齢者担当大臣」だという。石油会社の社長になったのも、関税局の役人だった人の経歴としてはよくわからないのだが、民間人が登用されるにも事情がわからない。

チュニジアを旅行したとき、観光スポットの一つに当時のブルギバ大統領のお墓があった。金ぴかの大きなモニュメントで、ガイドは、「大統領が死んだ時、葬られる場所です」と説明するが、なんと無駄なお金を使っていることよ、というのが私の感想だった。

ブルギバ大統領はフランスから独立するのに功績のあった政治家で、独裁者でもあった。だからそんな豪華なお墓にお金を使うことができるのだと思った。そのブルギバが亡くなり、後継者はきっと西欧的な民主的に選ばれた大統領であろうと思っていた。

女性の地位もそう低くなく、モロッコやリビア、アルジェリアというマグレブの隣国に比べて解放された印象があったからだ。
ところが、今度のジャスミン革命で、ベンアリ大統領の専制ぶりが明らかになった。その政権の一部を担っていたベビア、どうしているのだろう。政治家ではなかったし、汚職に染まる人柄でもなかったから、生命に危険があるとは思えないが、ただただ無事を祈るばかりである。
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