時間の価値

新年まであと30時間をきった。新年になったからどうなるというものでもないけれど。
今日は、管理事務所からもちつきのご案内があった。昨日、ちらしがポストにはいっていたのだ。午前は10時、午後は3時から2回もちをつくという。

午後は外出の予定があるので、午前中に参加することにする。時間をはかって10時ぴったりに行く。だれもいない。事務所の人がようやく火をおこしている。中でゆっくりお待ちください、なんだか悠長な話だ。

なんのことはない。午前中は11時からなのだそうだ。プリントミスでした、管理事務所の女性はあっさりという。他にだれもこないということは、他に配ったプリントには11時となっていたようだ。

たった1時間、まきストーブが赤々燃えているから、その前で待っていてもいいし、自宅に帰って出直してもいい。たった1時間、しかし、年末の用事の多い30日の1時間なのだ。
出直すことにした。1時間でできることはたくさんある。それより、プリントミスに気づいているのなら、どうして訂正の電話をしてくれなかったのだろう。

時間に対する観念の違い、昔は田舎時間というものがあった。会合は指定された時間より、1時間は遅くになるとか、地方により、会合の種類により、いろいろあった。えらい人は時間通りにくるものではないようだ。

外交機関で働いていた。そこでは時間厳守が原則である。しかしアフリカではそうともいえない。アフリカを一括して扱うのはよくないが、赤道直下にあるある国のことである。日本の昔の田舎時間も真っ青になるような、アバウトさである。

国家記念日の祭典、外交団は指定された時間に会場に到着している。ところが、大統領が現れない。大統領不在では始めようにも始められないのだ。何時間遅れで到着されたのか、もう覚えてはいない。ようやく式次第がスタートして、大統領の演説がある。この長いこと!!

テレビでの中継を録画していたが、予定時間から録画を始めたため、一番大切な大統領の演説途中できれてしまった。

外務大臣の結婚披露宴に招待されたとき、とうとう待ちきれないで、帰ってしまったこともある。ホテルで夜の9時からというので、8時45分に到着した。会場はまだセッティングの最中だ。ロビーで待って9時に会場に行ってみる。まだセッティング中だ。マネージャーに聞いてみるが、もうじき始まるでしょうとはっきりしない。

9時半、同じ状態だ。10時、変わらない。いつまで待てばいいのか、めどもつかない。帰った。はたしてこの披露宴があったのか、どうか知らない。
それからしばらくして、この外務大臣は反乱軍に加担して、新婦とともに、消え去ったからだ。

アフリカの時間感覚を身につける前に去ってしまった。離れて10年、今も変わらないのだろうか。
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