倹約の心

モッタイナイの言葉が世界で通用するようになったという。そんなことを言わなれなくてもわかっています、と言いたいが、自分の生活を省みれば、ずいぶんモッタイナイことをしていると思う。

まず、洗顔するとき、水道を開いたままでしている。ティッシュペーパーをよく使う。トイレットペーパーの消費も激しい。明かりも各所につけたままで平気だ。

フランスの知人宅でみていると、本当に無駄がない。ティッシュペーパーはない。鼻をかみたいとき、彼らはハンカチーフを使う。明かりは天井からのものはなく、必要なところのスタンドだけをつける。

パリの別の友人に赤ちゃんが誕生した。お祝いにいこうとしたら、この知人もお祝いの品を持っていってほしいという。そして出されたものは、40年以上前、自分たちの子供に使ったよだれかけであった。きちんと洗濯がされ、アイロンもかかっているが、よだれかけ、だからシミもある。

このものを大事にする心、生半可ではない。その最大のものは50年以上前の冷蔵庫をまだ使っていることだ、と思っていたが、もっと古いものを使い始めたのにはびっくりした。

それはオマルである。高齢者とて、就寝中にたびたびトイレに起きる。トイレは寝室のとなりにあるが、それでも昨年、夫人は転倒し、腕を骨折した。そこで、簡易トイレをベッドサイドにおくようにしたのだが、中世のものなのである。玄関においてあったが、骨董品としてであった。それを寝室におき、実用としているのだ。

使い心地はわからない。しかしけっしてよいとは思えない。それに使用後の洗浄も簡単とは思えない。いまどきのオマルを買えない人たちではないのだが、買わないのだ。

ここまでのモッタイナイ精神、私にはとうてい無理だ。
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